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バイオグラフィー 〜敗北〜

 

次にアンディがねらっていたのは1991年の世界選手権出場である。もちろん、それまでにアンディが出場できる大会・国際大会は数多くあるのだが、あくまでも世界選手権に狙いを定めた戦術と心身状態のチェックを目的として、アンディはそれらの中から必要と思われる大会にだけ出場した。世界選手権に絞った調整を進める一方で、アンディはスイスのトレーナーとして自分の知識と経験を他の選手に惜しみなく伝授し、その求心力と信念で選手の意欲を盛り上げることにも心血を注いだ。そして、フルコンタクト空手第5回世界大会(体重制限なし)が、格闘技のメッカ・日本武道館(東京)で開催された。

 

当時、なぜか外国人選手の対戦相手は体の大きい選手ばかりだったのだが、アンディは試合の戦略を練り尽くしていたため順調に勝ち進む。一方、日本のトップファイターたちは比較的楽な試合をしていたようである。フルコンタクト空手では、予選段階で過度にエネルギーを消耗すると優勝を逃す。アンディは、この明らかに作為的な予選に腹を立てていた。

 

3回戦でアンディはブラジルの天才フランシスコ・フィリォと対戦する。1、2回戦でアンディは身長2メートル10センチ、体重は優に100キロ超クラスのロシアの大男と対戦しているのだが、技術と戦略で大した困難なく勝ってきた(2回戦目はKO勝ちである!)。このような体格差のある試合が連続したにも関わらず、アンディはリラックスし、フィリォの攻撃にも絶え間なく独自の技と動きで反撃していた。あっという間に時間が過ぎ、試合終了を告げる笛が鳴り響いた。アンディは腕から力を抜き、喜びに輝きながらスタッフの方をふりかえる。その瞬間、フィリォの足がアンディの頭を横なぐりに打った。雷にでも打たれたようにアンディは床に倒れた。そして大山倍達はフィリオの技が“有効”であることを手で示した。この後、大山は次のような見解を発表する。「フィリォが技を命中させたのは試合時間“終了後”であるが、その技を出したのは試合“終了前”であった。だからこの攻撃は有効としなければならない。アンディの負けである」。

 

意識を取り戻して事態を理解した時、アンディは失望のあまり言葉を失っていた。頭を横にふりながら途方にくれて座り込み、込み上げる感情を全力で抑えるばかりであった。だが、抑えがたい怒りが襲い、身体的な疲労と精神的落胆が彼の体から力を奪っていく。彼の内笑は消え、そして決心する。「これからはもう自分の知識と経験をトレーナーとして伝えていこう、そしてスイス選手達をサポートしていこう、そして自分自身が試合をするのはもうやめよう」と。アンディは“あざむかれた”、そして、自分の格闘技哲学の理想が“裏切られた”と感じていた。

 

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